ソラリス(Solaris)
作者レムとオーストリアの意外な接点
2005年
私はレオポルト美術館(Leopold Museum)にあるグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「アッター湖(Attersee)」を、非常に個人的に「ソラリス」と呼んでいる。こんなことを言えば、作者のレムに怒られそうだが、私にとっての「ソラリスの海」はその絵に近い。これは個人的な感情なので、他人がとやかくいうことではない。
ソラリスはポーランドの作家スタニスワフ・レム(Stanis
aw Lem)によって1961年に書かれたSF小説である。
2つの太陽の周りを廻る、意志を持つ海の惑星ソラリスを舞台に、人類と理解し難い生命体(海)のコンタクト、あるいは意志のすれ違いを描いた小説である。
日本では1965年に「ソラリスの陽のもとに」(早川書房)という題で、ロシア語版から翻訳されている。レムはポーランド人であるから、当然、原作はポーランド語で書かれているはずだ。当時の情勢、ロシアがソビエト連邦であったことを考えると、ロシア語版自体がかなり検閲を受けているのではないかと考えられ、原作との違いがいろいろ噂になったりしていた。しかしながら、2004年にポーランド語からの翻訳版が出版(国書刊行会)され、読み比べてきると、我々SFマニアの懸念は思い過ごしだったようだ。訳者もあとがきで詳しく説明してくれているが、確かに検閲で削られた部分はあるようだが、物語の大筋には大きな影響を与えてはいない。
映画は2度作られている。1本目は旧ソビエトの監督アンドレイ・タルコフスキーによるものであり、原作は当然「ソラリスの陽のもとに」の元ともなった、ロシア語版であると思われる。2本目はハリウッド版の監督スティーヴン・ソダーバーグ(Steven Soderbergh)によるものである。彼が1本目を見たか、意識したかは不明だが(当然意識はしただろう)、英語に翻訳された物が下地となっているはずだ。レムはこの2本とも、その興行成績に影響を与えかねないぐらい、酷評している。それほど言うなら、映画化権を売らなければいいと思うのだが、レムなりの理由もあるのだろう。
レムの酷評には理由がある。2本の映画は「生きている海」に翻弄される人を描いた、ヒューマン・ドラマであるからだ。主人公は人で海ではない。もちろんソラリスでもない。だが、レムが描きたかったのは海であり、ソラリスであり、宇宙では人間が想像もできないことが起こりうるということだと思う。異常なまでの海の描写を読んでいると、レムの思いはそこにあるように思う。しかしながら、映画はそうはいかない。興行だし、主人公は人だ。人と人の関わる、感動的なラストが必要とされる。レムが怒っても、それは仕方ない。
映画の出来については、評価し難い。タルコフスキー版は白黒だし、見たのがかなり昔だ。ただ、タルコフスキーの実力がいたるところで発揮されているし、彼なりのラストもまた感動的だ。未来の地球の映像に日本の高速道路が使われている部分はいただけないが、あの時代に日本を映像に使うには勇気と覚悟が必要だったはずだ。映像の点では最新のソダーバーグ版だ。ソラリスが美しい。ただし、海は脇の脇だし、あれを海と分かる人も少ないかもしれない。ラストもあれはあれでいいと思うのだが、レムは激怒するだろう。そういう人だ。まぁ、現在のところ3タイプのソラリスがあると思えばいい。
そして、私にとっての4番目が「アッター湖」である。
「アッター湖」は、ソラリスとは全く関係ない。1918年に亡くなったクリムトが、ソラリスを読んでいるはずはないし、旧社会主義国のポーランドに住んでいたレムが、ソラリスを書く前にこの絵を目にした可能性は極めて低い。だが、キャンバスいっぱいに描かれた湖面、半分に切り取られた太陽、僅かな対岸の緑、漂う菫色の靄。水の上の波紋は「意志」を持っているかのようだ。
レムが「ソラリスの海」を書きたかったのと同じように、クリムトは「アッター湖の湖面」を描きたかったのだと思う。その点も共通している。しかし、この絵はクリムトの絵として評価を得ているとは言い難い。レムが異常なまでに「ソラリスの海」を描写して、ソビエトの検閲でかなり削られてしまったようだが、キャンバスいっぱいに描かれた湖面など、どう評価していいのか、大抵の人は困ってしまう。
ここで、レムの話をしたい。レムは旧ポーランド領のルヴォフ(現ウクライナ領)で生まれ、クラクフの大学で医学を学んだ。ルヴォフとクラクフはパプスブルグ帝国時代、オーストリアの一部であった。当時、ルヴォフはレンベルク(Lenberg)、クラクフはクラカウ(Krakau)とドイツ語の名前で呼ばれていた。歴史が少しだけ違っていれば、レムはオーストリア人だったかもしれないし、「ソラリス」もドイツ語で書かれていたかもしれない。(実際、レムの父親は第1次世界大戦に、オーストリア軍の軍医として出兵し、シベリアに抑留されている。)また、レムは多くの友人や知り合いを「ドイツ人に殺された。」そうだ。「ドイツ人」とはオーストリアを併合したナチス・ドイツのことであり、中にはオーストリア人も含まれていたはずだ。(ナチス・ドイツは激戦地、ロシアやポーランドに多くのオーストリア兵を送っている。私の友人の祖父もロシアに出兵させられ、結局、シベリアで亡くなられている。)しかもレムはユダヤ人であった為に(等のレムや家族はそんなことをすっかり忘れてしまっていたようだが)、偽造した身分証明書でゲットー行き(最終的には強制収容所行き)を免れている。レムはある意味、オーストリア人に殺されかけた可能性もありうるのである。
クラクフは日本の小京都ならぬ、小ウィーンと呼んでもいい街で、オーストリア統治時代の歴史的建造物も多く残されているようである。ポーランドにはアウシュビッツもあるので、できれば、いつかは訪れてみたい街の1つだ。
私の家の居間には、クリムトの「アッター湖」のコピーが飾られている。私は時々その絵を見て、アッター湖ではなく、何処か宇宙の片隅で、たった1つ(1人?)で生きているソラリスの海を思う。レムが言うように、我々の想像力には限界がある。広い宇宙の中では、そんな生き物ぐらい、平凡な存在かもしれない。
- この文章を書いた後で知ったことですが、レムはウィーンに住んでいたこともあるようです。ただし、その時期は筆を置く直前で、ソラリスを書いた時はポーランドに住んでいました。
