そんな世界で生きていた
そこは既にパンノニア(Pannonia)
2008.04.27
国立オペラ座(Staatoper)の前を走る路面電車、シュテファン大聖堂(Stephansdom)の前でモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の格好をして音楽会のチケットを売る人達、オーストリアあるいはウィーンの街角のイメージとはそんなものではないかと思う。だから私がウィーンへ行くと言うと、聞いた人達はそんなイメージを描いているのではないかと思う。だが残念ながら、私はそんな世界では生きてはいない。
車の窓を開けると、乾いた空気が流れ込んでくる。車内が暑くなっているとはいえ、窓を開けるのもいいアイデアではない。オーストリア人は車にエアコンを付けない。こんな夏の午後のドライブは、その事実が恨めしくなる。太陽は西に傾いているとはいえ、空気は熱く、乾ききっている。オーストリア軍の基地の横を走り過ぎ、私達が向かうのはノイシードラ湖(Neusidler See)。湖畔の涼しい風を期待しているが、この分では期待外れになりそうだ。だとしたら、よく冷えたワインに期待するしかない。
家並みはオーストリア風のパステルカラーから、少しずつハンガリー風の白い壁に変わっていく。でもどこの町からハンガリー風なのかは分からない。この町からかもしれないし、次の町からかもしれない。そこにはオーストリア風のものとハンガリー風のものが存在している。そしてどちらも自己主張しない。そこで大きく存在をアピールしているのは緑だ。何処までも続く葡萄畑の緑。その向こうに大きな湖が見えてくる。
運転をしていない私は葡萄畑の脇を探し続ける。こんな季節は何処のホイリゲも、路肩に手書きの看板を出している。ドライブ帰りの客を呼び込むためだ。ボール紙に書かれた手書きの看板では、そのホイリゲの雰囲気を察することはできないが、頼れるのはそれだけである。看板の位置とそこに書かれた矢印の位置を見ながら、私の物色は続く。
そこは既にハンガリー平原である。いろいろな事情の下にオーストリアの一部となっている為、誰もハンガリーだとは言わないが、気候はアルプスの麓を離れつつある。そしてその気候はブルゲンラント(Burgenland)と呼ばれる地域より、少しだけ西から始まっている。夏は葡萄の緑に覆われ、ホイリゲが人々の喉を潤す地域からである。
そんな世界で生きていた。私にとってのオーストリアは乾いた風と葡萄の緑だ。そしてホイリゲの電球が明るく輝いている村だ。
その夏、私はウィーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)でグラーツ(Graz)行きの急行を降りる。乗換るべき列車は1aなどという中途半端なホームで私を待っていた。確かに1つのホームをあてがうのは躊躇してしまいそうな、1両だけのローカル列車だ。ただし、この列車が向かうのは1つの州の立派な州都アイゼンシュタット(Eisenstadt)である。同じ客車には退屈そうなオーストリア軍の兵士達。こんなところにいるのは似合わない、まだまだ遊びたい年頃だ。
やがて列車は動き始める。葡萄の緑眩しい場所、私が生きている場所へ。
