3組に2組は離婚 オーストリア人の結婚感

そういうものは人によって違うものだし、そう一緒くたには出来ないのだが、日本人とオーストリア人の結婚感は、ベースのところが大きく違っているような気がする。ウィーンでは3組に2組が離婚という記事を見ても、さもありなんって感じだが、舞台が日本だと、そう納得する人はいないだろう。
記事は10月30日付の朝日新聞に掲載された。題名は「円満離婚お手伝い〜ウィーンでフェア」である。
人口約820万人のオーストリアにおいて、2006年の離婚は約2万件。なかなか高水準である。なかでもウィーンは3組に2組は離婚するといわれているそうだ。そんなウィーンで10月27日と28日の2日間、「離婚フェア」なるものが開催されたそうだ。出展者は弁護士事務所、私立探偵、離婚を祝うパーティ企画団体、新たな出会いを紹介する業者、そしてDNA検査会社である。なかでも注目を集めたのは、DNA検査会社のブース。「420ユーロで親子かどうか分かる。」そうだ。
「いやはや、ここまでやるか?」と呆れるべきなのか、「やるんだったら、これぐらいはやらねば!」と受け入れるべきなのか、私は京都とウィーンの距離よりも遥かに離れている、この2つの感想の間で大きく揺れてしまった。

いやはや、ここまでやるか?

先進国にみられる宗教離れが進んではいるものの、オーストリア人の多くはカソリック教徒である。ウィーンも例外ではない。カソリックといえば離婚しないことで有名である。神の前(教会において)誓った愛は永遠であり、死が二人を分かつまで、いや死後も、その愛は永遠に続くのである。お墓だって一緒だ。良人が死んだ時に二人分のペアお墓(?)を造り、自分が入る時を待っている人は多い。そんなカソリック教徒が離婚である。半端な数ではない。しかも、二人の間に生まれた子供のDNA鑑定までするというのだ。ここまでくると、神がどうこうなんて話をしている場合ではない。
だいたい、カソリック教徒のオーストリア人が、どうしてこうも簡単に離婚してしまうのかが問題だ。同じカソリックで恋多き(?)イタリア人が離婚するのに苦労しているのに(イタリアの法律では離婚は非常に難しく、様々な手続きがあるうえに、3年間の別居生活後となる)、オーストリア人は「私達も別の人生を選択することにしました。」という簡潔なお便りとともに、あっさりと文字通り別の人生を歩み始める。こう離婚が多いと、周りもとりたてて騒がない。社会的な影響も少ない。住む場所が変わる程度だ。(変わんない人もいるか。)
カソリックとはいえ、オーストリア人にとって結婚は契約である。宗教上の結婚は結婚として、それなりに慎重に扱っている(場合もある)。ただし、法律上の結婚と宗教上の結婚は別のものだ。通常、結婚と呼ばれているものは法律上の結婚であり、宗教上の結婚とは明確に違う。法律上の結婚は契約であり、契約が結ばれた時点からの状況の変化によっては、契約内容の見直しもありうる。その究極かつ安易な方法の一つが離婚である。

やるんだったら、これぐらいはやらねば!

結婚が契約であるからには、契約時に破綻(離婚)時の取り決めをしている場合も多い。新婚の見るからに熱々のカップルが、離婚時のことも考えて、お互いの取り分を書面で取り交わしている場合も多々ある。家庭内においても、共同名義のものはなく、どちらの所有物か明確にするために、名義は別々にしている例も少なくはない。全て離婚時のためである。
曖昧は嫌いだ。白黒つけなければならない。私の物は私の物であり、あなたの物ではない。僕の子供か、彼の子供かは大問題だ。非常にオーストリア的に考えると、はっきりすべき問題の一つである。そこを曖昧にして、新しい人生は有得ない。
そこに慰謝料の問題が浮上する。誰の子かは大問題である。慰謝料の金額が大きく変わってくる。双方の離婚に対する責任負担の比率も大きく変わる。白黒はっきりさせたいところである。
まぁ、日本人とは違う。当事者になりかけた私にすれば、分かるような分かりたくないような気分である。結婚や離婚なんて、そう大げさに考えなくていいような気がする。一緒にいて、双方が心地いいのであれば結婚すればいいのだし、苦痛であれば離婚すればいい。ただ、日本人的視点で見ると、周り、特に子供の考えというものが無視されているようで、残念である。ただし、それも日本人的な考えかもしれない。
そして、どちらの国でも結婚の枠に入りそこねた私は、一人ぼっちで取り残されてしまう。京都とウィーンの間の何処かに。。。オーストリア人の結婚感は分からなくはないが、分かりたくない中途半端な心情を抱えたまま。

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