扉は開き、敷居は低く ホイリゲのある暮らし

私はワインには2種類しかないと思っている。美味しいワインと、そうでないワインだ。
ウィーンの森が溶け込んだようなグリーンとか、菫色にスパイシーなブーケ、なんて説明を聞くと気が滅入ってしまう。美味しければいいんじゃないかと思う。飲んでみなければ味は分からない。
日本にいるとワインの敷居は高すぎる。高級なワインの名前の1つでも知っていないとワイン通とは認められそうにないし、レストランではソムリエの意見も聞かずにワインを選ぶと冷笑されてしまいそうだ。お肉に白を選ぼうが、魚に赤を選ぼうが、それは飲む方の勝手である。他人にとやかく言われることはない。飲んで合わない事を知る方が本人の為だ。以外といける場合もある。
ホイリゲは敷居が低い。子供達が駆け回り、一人で飲んでいると隣の席の団体に引きずり込まれたりする。カウンターでどんな料理を購入しようが、誰もうるさく言わない。だいたい、白、赤、ロゼぐらいしかワインの種類もない。(その家で造ってるワインだ、そんなに種類があるはずがない。)
開店しているかぎり、誰にでも扉は開かれている。言葉の通じそうにない東洋人が来ても(たまに躊躇するご主人もいるが、追い出したりはしない)、正装したカップルが来ても、サイクリング途中の人が汗の染み込んだスポーツウェアで来ても、店の人はたじろがない。だいたいオーストリアのレストランでは借りてきた猫以上に大人しくしていなければならない子供達が暴れているのだ。大人が他人に迷惑をかけない範囲で行う行動なんて、些細なことだ。
ワインをいれるグラスも、ちゃんとしたワイングラスを使っている店もあるが、ジョッキやコップで出してくる店もある。香りも何もあったものではない。飲みたきゃ飲め。こんなのりだ。
でも、こんな場所で暴れている子供達はきっとワインを飲むようになるだろうと思う。喉が渇いたら、休日に一息つきたかったら、きっとホイリゲに来るのだ。そしてワインの味を覚え、TPOに合わせてヴィンテージものも選ぶようになるだろう。レストランでは銘柄品をボトルで注文し、ホイリゲではホイリゲ(新酒)をジョッキで飲む。健全なワインの楽しみ方だ。
近年、オーストリアワインの評価が高まり、荒削りで醸造にこだわらないように思える(私はホイリゲの主人が決して手を抜いてはいないと思う)、ホイリゲ(新酒)を否定する動きがある。しかし、みんながボトリングを始め、ホイリゲが姿を消したらどうなるのだろうか?
日本ではワインが日常化しない理由がそこにある。ワインは特別な日に飲む高級な飲み物ではない。ちょっと仕事に疲れたときにの息抜きに、晩御飯のお供に、普通の日に普通に飲む飲み物だ。
扉は誰にでも開かれている。敷居はない。ワインは特別な飲み物ではない。ホイリゲのある暮らしとはそういったものだ。

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