グリンツィングは何処へ行く!?
2010.03.14
知ったかぶりをして、「観光客向け」だと誰かがグリンツィング(Grinzing)のホイリゲを悪く言っても、私は擁護してきた。その人の言っていることも嘘とまでは言えない訳だし、ガイドブックやオーストリア政府観光局があれだけ宣伝すれば、観光客が集まっても仕方ない。特にガイドブックの多くは、ホイリゲはグリンツィングにしかないように書いている。これでは、初めてのオーストリアでワインを飲みたい人、ホイリゲに行きたい人はグリンツィングに行くしかない。結局、グリンツィングに観光客が集まることになる。だから「観光客向け」は決して嘘ではない。
それでも、グリンツィングにも昔ながらの典型的なホイリゲがなかった訳ではない。家族で小規模経営で、団体を入れてもせいぜい10人前後、バスで乗り付けるような団体は無理、そんなホイリゲも存在していたことも事実だ。だが、そんなホイリゲがグリンツィングから姿を消しつつある。ホイリゲの電球が灯らないという事態が発生している。
私がグリンツィングを擁護してきたのは、偏にリート(葡萄畑:Ried)のためである。グリンツィングも含むドブリンク(Dobling)地区、特にカーレンベルグ(Kahlenberg)の斜面から裾野に広がる葡萄畑はウィーンでも最も良い、いやオーストリアでも最高クラスのリートである。ここで造られたワインは美味しい、そのワインを飲ませるグリンツィングのホイリゲは美味しい、それが私がグリンツィングを擁護してきた唯一、最大の理由である。またそれは、地元のワインを地元で飲むという、私のホイリゲ理念とも合致していた。
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夕暮れを迎える頃から、グリンツィングの道は観光客や地元の人で溢れ、その人々をうまく避けながら大きな観光バスが止まり、多くの観光客をホイリゲに運んでいた。私はその観光バスの間を擦り抜けて、目的のホイリゲに向かった。
私がグリンツィングで利用していたホイリゲは、どれも家族だけで細々と営まれていた。ワインの注文を取りに来るマスターは常連客の好みを心得ていて、注文をしなくても好みのワインを出してくれる。一見さんにもこころ配りが行き届いていて、言葉が通じなくても、笑顔でワインを運んでいた。肴にも手を抜かない。カウンターの外にも美味しそうな香りが漂っていた。私はカウンターの彼女(その家の娘だったり、ママだったり)に、指先だけで注文を済ませた。(ドイツ語の料理の名前は難しい。)そして他の客がいない時だけ、無駄話をした。
だが、グリンツィングは変わってしまった。
夕暮れの通りに立つ。歩く人はやけに少ない。地下駐車場から溢れ出した人々は、その固まりを崩さずに大きなホイリゲに飲み込まれて行く。他の店に目を向ける人さえいない。私は馴染みのホイリゲの前で立ち尽くしている。電球は今日も灯されていない。
どうして、こんな事になってしまったのだろう?
それは、通りを歩く人々の直ぐ横を大型の観光バスが走るという、グリンツィングの交通渋滞をなんとか解消しようという、当局の思いから始まった。グリンツィングに地下駐車場を建設したのだ。それは車で来る人(ホイリゲに車はどうかと思いますが)にもいいはずだし、今までより多くの観光バスを収容できるはずだった。
確かに観光客は増えた。大きなホイリゲは観光客で溢れ、忙しくなった。だが、団体客は騒がしいし、他の者を寄せ付けない。地元の人達や、個人や小規模のグループでグリンツィングに来る観光客達が席を取れない、あるいは取れてもあまりいい席ではない、といった状況が見られるようになってしまった。
そういうことというのは、なんとなく世間に知られていくものである。グリンツィングを最初に見放したのは、個人や小規模のグループで行動する観光客達だった。団体で行動しない人というのは探究心も強い。ガイドブックに掲載されていなくても、別の「地元の人向け」や「穴場」を探してしまうものである。彼等はグリンツィングを見捨て、別のホイリゲ街を発見してしまったのである。
次は地元の人達だ。団体客で溢れたホイリゲの隅に追いやられるなんて我慢できない。彼等には彼等のリズムに合う、別のホイリゲがあるはずだ。だからそこに移ってしまった。
グリンツィングの通りから人並みが消えかけた時、団体客を入れることのできない小規模なホイリゲも姿を消した。あるいは転売された。そして、団体客と大規模なホイリゲ、灯らない電球だけが残された。
グリンツィングは何処へ行くのだろうか?
あの美味しいワインを、あの場所以外で飲まなければならない日が来るのだろうか?
だが、既に其はホイリゲではない。

