すっげぇ!嘘だろ?! 目の前には赤ワインの山
いくら周りの人が日本語を理解できないとはいえ、この言葉遣いはどうかと思う。工学部出身で技術畑ではあるが、私も女である。想像以上の物を見てしまうと、人間は本質が出てしまう。
「すっげぇ!嘘だろ?!」
ドイチェクロイツ(Deutschkreutz)のヴィノテク(Vinothek)、私の目の前に存在していたのは赤ワインの山。しかも名前だけは知っているワイナリー、しかしながらウィーンでもなかなか手に入らないワイナリーのブラウフレンキッシュ(Blaufr
nkish)の銘品の山である。
「なんじゃ、これ?」
私は相変わらず興奮したままだ。各々のワイナリーのボトルを手に取っては、名前と産地を何度も確認している。ワイン通かもしれないが、少しばかり周りを気にしなさ過ぎる。
その日、私はとても落ち込んでいた。オーストリアでは物事が計画通りに運ばない事には慣れているはずなのに、その日の不運は私を落ち込ませるのに十分だった。私はブラウフレンキッシュラント(Blaufr
nkishland)を回る予定だった。具体的にはネッケンマルクト(Nekenmarkt)とホリチョン(Horitschon)、そしてドイチェクロイツである。だが、非常に不幸な出来事の積み重ねで、私はネッケンマルクト行きのバスに乗る事ができなかった。次のバスは昼過ぎまでない。昼過ぎのバスでは帰りのバスがない。ドイチェクロイツまでは列車で来た。そこからはバスしかない。つまり、このハンガリー国境の町で、私は袋小路に入ってしまったのだ。何処にも行けない。帰る道しかない。
さて、ドイチェクロイツ、ブラウフレンキッシュラントの中心地である。赤ワイン、特にブラウフレンキッシュの好きな人は、名前を聞いただけでよだれを出してしまう。オーストリアが世界に誇る、赤ワインの名産地なのである。じゃあ、町は赤ワイン一色かと思うと、何もない。
メインストリートは200m足らず、役場と警察、観光案内(あれが観光案内と呼べれば)、銀行、スーパー、ヴィノテク、わりに大きなワインショップ(わりに大きな!?)があるだけだ。見所はドイチェクロイツ城と教会、他には何もない。人々の生活とホイリゲがあるだけだ。
このような場合、諦めのよい私(でなきゃオーストリアなんかに行けない)は状況を受け入れるのも早い。しかたがないので昼前からホイリゲに入る。勿論、赤ワイン(ブラウフレンキッシュ)を注文する。他に客は近所らしいおじいさんが一人、実にワインを飲むには不適切な時間だ。でも、私は飲む。他にすることがないからだ。そのホイリゲはかなりメインストリートから入り込んでいた。店の人は普通に対応してくれたが、出る時につりはいらないと言ったのに、しっかりおつりをくれた。どうでもいい事だが、チップをもらう気はなかったらしい。
次は丁度昼時になったので、またホイリゲに入った(昼を食べるのか?ワインが飲みたいのか?)。そこはメインストリートに面していたが、かなり町外れで、周りは葡萄畑しかなかった。日よけがなかったので、庭の席ではなく中へ入る。おじいさんとは言いがたいが、年配の男性が二人カウンターで飲んでいた。どちらも完全にハンガリー系だ。昼間から飲んでいるということは、リタイヤした年齢だろう。私はサラダと赤ワイン(ブラウフレンキッシュ)を注文する。こちらは興味津々、カウンターで飲んでいたおじさん達(だよな)が、どう見てもオーストリア人に見えない私が、こんな田舎にいるのかを知りたがった。
そのような場合、私は大変素直である。オーストリアワインが好きな事、だから産地を訪ねて飲み歩いている事を説明する。次はご主人が乗り出してくる。だって、オーストリアワインが好きだという理由だけで、わざわざ自分の店に来てくれた外国人を放置するはずがない。どこの産地が好きか、葡萄品種はなにが好みか、根掘り葉掘りである。このような質問にも、私は極めて親切に答える。だって嬉しいではないか、遠い国から時間とお金をかけて、ただワインを飲みに来て、このワインの町で立ち寄ったのが自分の店なんて、私がご主人の立場でも根掘り葉掘り聞いてしまう。
結局、このホイリゲでは赤ワイン(ブラウフレンキッシュ)を1/4l、白ワイン(ウェルシュリースリング(Welschriesling))を1/4l飲んだ。で、気分よくウィーンに帰ろうとした。そこにさっきのカウンターのおじさんが一人ついてきた。
「何処へ行くの?」
「ウィーンへ帰るの。」
「ウィーン行きの列車までは時間があるよ。」
確かにある。しかもオーストリアでは、基本的に同じ方面に向かう列車は同じ時刻(分の単位が同じになる。例えば10:35の次は11:35となる。)に出る。ドイチェクロイツからウィーン行きの列車は1時間に1本なので、分のところは変わらない。町の人は誰でも、次のウィーン行きの列車の時刻を知っている。おじさんとて例外ではない。
でも、この懐き方が嫌な感じだ。しかもかなり酔っている。
「ヴィノテクでワインを買うの。」
「ヴィノテクか。。。そりゃ、いい。」
本当は町の観光スポットを探そうと思っていたのだが、なんとなく付きまとわれそうなので、ヴィノテクに逃げる事にした。ヴィノテクなら人が居るだろうし(この町の観光スポットに人がいる可能性は極めて低い)、ワインも買える。一石二鳥だ。
「ヴィノテクだよ。」
早足になっていた私はヴィノテクを見逃した。だいたい前の道は工事中だし、入口は小さく、ワインも飾っていない。ドイツ語が読めなきゃ、ヴィノテクと分からないではないか。
おじさんがドアを開けてくれる。中へ入るとおじさんはついて来なかった。(ほっ!!)
中は小さな事務所スペースで、女性が一人事務机に座っていた。壁にはワインのボトルが多く飾られていたが、売り物ではなさそうだ。立ち尽くす私に事務机の女性が、小ぶりな買い物籠を差し出した。
「ワインは地下よ。」
確かに、奥の突き当たりに階段が見える。勿論、地下(ケラー)に向かう階段だ。
「ありがとう。」
私は素直に籠を受取った。でも、期待はこの事務所スペースより小さくなりつつある。控えめな看板、3畳程の事務所スペース、地下にある物の規模も想像できるではないか。
ゆっくりと階段を下りる。地下は以外と広そうだ。誰も居ない。ついても来ない。やがて視界が広がる。
目の前には赤ワインの山、山。ワイナリーごとに山積みされている。名前だけ知っているワイナリー、行きたかったネッケンマルクトとホリチョンのワイナリー、とにかく赤ワインの山と化している。
「すっげぇ!嘘だろ?!」
広さは30〜40畳はある。山と山の間のスペースも十分だ。
近寄って、手に取る。
「なんじゃ、これ?」
信じられないぐらい安い。ウィーンに行くだけで、3・4倍にはなってしまう。どれもこれもほしい。なかなか手に入らない銘品なのだ。
オーストリアでもこれだけの赤ワインを見たことがない。白ワインの山は平凡だ。この国では普通過ぎる。
私の興奮はなかなか鎮まらない。それでも選ばなければならない。
ワインを持って帰るなら2本までという決まり事を、私は破らなければならなかった。どうしても3本以下にはできなかったからだ。決死の覚悟の絞込みは、ドイチェクロイツ、ネッケンマルクト、ホリチョンで各1本が限界だった。
ヴィノテクの前でおじさんは大人しく待っていた。相変わらずついて来る。仕方ないのでワインを持たせた。結局、列車が出るまで一緒にいた。彼の話は私の興味を欠いていたし、非常に申し訳ないが、深く聞く気もなかった。お別れのキスも拒否した。まぁ、失礼な外国人だと思ってくれればいい。